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2006・望.jpg

 望                        145×89cm   2006年

 
 
  
 
今回は墨だけで画いてみた。水墨画と言っても必ず墨だけを使うという決まりはない。主に墨を使う絵という意味である。私自身台湾と中国で'中国画'を習い、それ以前は'東洋画'を習い、今は日本に住みながら'水墨画'と言っている。私は韓国画と言っても、中国画と言っても、又は日本画と言ってもみな同じ東洋絵画であると理解する。私にとっては、そう言う呼び方は重要ではない、ただ'絵'と言う言葉だけで十分なのである。
私の絵を見て、時々、これはどこの風景なのか質問されることがある。山水画というものは中には真景山水、実景山水など写生画もあるが、大半は'意境'と言い'胸中山水'である。何かしらの風景を見て自分の心を通した心象風景である。私の山水も同じで私自身の気持ちの表現である。ある時は対象があり、ある時にはその対象がない心象の風景のときもある。中国宋代書家蘇軾は、唐代詩人であり画家でもある王維の絵を見て「味摩詰之詩 詩中有画 観摩詰之画 画中有詩」と言った。王維の詩を読めばその景色が浮かんでくるし、絵を見れば詩が浮かんで来ると言う意味で、まさに文人画であり、山水の'意境'をよく説明している。
中国では山水画室を卒業し、日本に戻ってからは随分と山にも行っていない。時には山が恋しくなる時もある。太行山、盧山、張家界、十渡などなど、行っても行っても最後までたどり着かない山河、われわれはその終わりがない物語を憧れるのかも知れない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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